JON BALKE DISCOURSES

 Discourses (複数形)直訳すると、論文、談話など、難解な言葉であり、音楽むきには思えませんけど、聴き続けると、1/f fluctuationを感じる音です。音に思考を縛られたくない時にぴったり。

 ヴィヴァルディや初期モーツァルトのような明るさもなければ、ショスタコーヴィチやプロコフィエフのような悶え苦しみもないので揺らいでいる。そう感じます。若い頃、明るい長調のモーツァルトがたまらなく好きで、その明るさに自分の心を照らされて気分も明るく維持できていたように思います。

 今、60歳を超えてこの年齢になると、天邪鬼というか、明るい曲を聴くことによって返って心に忍び込む暗闇が見えてくる。どうしてでしょうか。ヴィヴァルディの溌剌として明るい曲が典型的で、鬱期から出るタイミングで聴けば物凄い薬効を発揮しますが、躁状態から冷えていく時期にはそれが副作用ともなりえて、余計に閉じこもるような気がします。

 そうならない場合もあります。例えば幼少期モーツァルトの初期交響曲の天衣無縫って思える明るい曲には明るい中にも何かメロディの飛ばし方とかハーモニー・リズムの付け方にちょっとだけ「毒」が仕込まれているように思え、それほど落ち込まないっていう明るい曲もあるにはあるんです。

 絶対的明るさとか暗さ、何物にも動かない安定した場所って生きていくものにとって理想というか、仮の姿としては必要ではあるけれど、実生活の隣には異なる要素が少しづつ刺激しあって「明るいようでそうでもなく、暗くなるようでならない」もやもやした状態が当たり前。揺らいでいます。そう思います。特にこの談話的Discoursesっていうピアノソロのアルバムを聴いて。

 音楽のジャンルに新しくECMって独立してあってもいいと感じています。クラシックでもジャズでもなく、型にはめてはいけない音楽っていうか。ECM new seriesの方がnewなのにより古典的香りを感じるのは皮肉っていうか、その逆説だったり、その奥に別の裏の意味があったりして。

褒めてないか。(笑)


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